2018.9.23 日々の聖句 < LOSUNGEN 2018> ( その他人文科学 )

2018.9.23 日々の聖句 < LOSUNGEN 2018>

三位一体後第17主日

讃美歌21-124

エレミア書  31章34節    

ヨハネの手紙1   2章1節  

■ 新共同訳または新改訳

◇ エレミア書  31章34節       

            

31:34 そのとき、人々は隣人どうし、

兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。

彼らはすべて、

小さい者も大きい者もわたしを知るからである、

と主は言われる。

わたしは彼らの悪を赦し、

再び彼らの罪に心を留めることはない。

ヨハネの手紙1   2章1節  

2:1 わたしの子たちよ、

これらのことを書くのは、

あなたがたが罪を犯さないようになるためです。

たとえ罪を犯しても、

御父のもとに弁護者、

正しい方、

イエス・キリストがおられます。

■ 英語  English Standard Version (ESV)または  

New International Version(NIV)

◇ Jeremiah  

34 And no longer shall each one teach his neighbor and 

each his brother, saying, 

‘Know the Lord,’

 for they shall all know me, 

from the least of them to the greatest, 

declares the Lord. 

For I will forgive their iniquity, 

and I will remember their sin no more.”

◇ 1 John  

1 My little children, 

I am writing these things to you 

so that you may not sin. 

But if anyone does sin, 

we have an advocate with the Father, 

Jesus Christ the righteous.

■ ドイツ語 EINHEITSÜBERSETZUNG

◇  Jeremia   

34 Keiner wird mehr den andern belehren, 

man wird nicht zueinander sagen: 

Erkennt den HERRN!, 

denn sie alle, 

vom Kleinsten bis zum Größten, 

werden mich erkennen 

- Spruch des HERRN. 

Denn ich vergebe ihre Schuld, 

an ihre Sünde denke ich nicht mehr.

◇ 1.Johannes 

1 Meine Kinder, ich schreibe euch dies, 

damit ihr nicht sündigt. 

Wenn aber einer sündigt, 

haben wir einen Beistand beim Vater: 

Jesus Christus, den Gerechten.

■ 言葉(聖書講解+注解より)

◇ エレミア書  31章34節          

           

この短い章句は、エレミヤ書の最も重要な章句の一つであるといわれています。この箇所で約束された新しい契約は、イエスの生涯と苦難において、その成就を見たと新約聖書は見ています。主イエスは、十字架の上にご自身を捧げる時に、新しい契約がはじまることを告知されました。このようにエレミヤ書に記録されている「新しい契約」は、新約聖書の契約理解の根幹に関わるものとして注目すべき事柄です。

この言葉において明らかにされているのは、契約の律法に従う者に「祝福」が、しかし、従うことに失敗するならば、「裁き(呪い)」が必然的に伴なうということです。その祝福と呪いの長いリストが申命記に記されています(特に28章参照)。申命記的歴史書申命記から列王記下まで)は、イスラエルが終始一貫して、契約のその条項と一致した生活をすることに失敗したのか、そしてどのようにして、イスラエル王国ユダ王国が主の裁きを受けたのかを記録しています。

イスラエルが神の選びの民として、常に問われた問題は、律法に対する服従の問題でありました。「古い契約」では、神は自分の意思を民に表わすために、石の板に律法を書き記しました。しかし、イスラエルはこれにつまずきました。神の律法に服従することに失敗したのは、神の律法に服従しようとする意思とその能力が、そもそも彼らにはなかったからです。しかし神は寛大なる赦しによって、この律法をつくり直そうとはせずに、神はこの律法を民の心の中に刻み込む、という恵みを示されました。

ヨハネの手紙1   2章1節        

聖書の元々の言葉で、罪とは“的外(まとはず)れ”という意味です。放った矢が的を外すという意味です。当てるべき的に当たらずに、逸(そ)れている状態です。別の言い方をすれば、“道を逸れている”と言っても良いでしょう。いわゆる“迷子”の状態です。あなたがたは、的外れな生き方をしてはいないか?人生の迷子になってはいないか?それが、聖書が語るところの“罪”という言葉が問いかけてくるものです。

では、人生のどこで的を外しているのか。それは、他者との関係においてです。神との関係において、また人との関係において、です。簡単に言えば、私たちは神さまと仲違いし、また人とも仲違(なかたが)いしながら生きている、ということです。 “神さま関係”がおかしなことになっているから、“人間関係”においても、的を外し、道を逸れて生きることになってしまうのです。相手のことを考えず、自分中心に振る舞ったり、自分と人を比べてみたり、自分が正しいと言い張って相手を裁き、否定したりするのです。

けれども、罪という現実は、そんなに単純ではない。改まったと思っても、再びしてしまう罪があります。また自分で気づかない罪があり、また気づいても自分ではどうにもならない罪もあります。だから、16世紀に生きたマルチン・ルターという宗教改革者は、罪を悔い改めるとは、ただ一度のことではなく、私たちの全生涯が悔い改めであることを主イエスは望まれたのだ、と言いました。そのとおりだと思います。私たちの人生にはそれぐらい、自分を見つめる謙遜さが必要だと思うのです。

■ 讃美歌21-124

「讃美歌21」 124番

 「主よ,わが魂は」

讃美歌歌詞

   1 主よ,わが魂は あなたを望む。

     主に頼むものは 恥を受けない。

     あざむく者の おごりをくだいて

     正しい道を 行かせてください。

   2 主よ,あなたこそは 変わらぬ望み。

     若い日の罪を 思い起こさず

     永久に変わらぬ あわれみのゆえに

     主よ,みこころに とどめてください。

   3 主は恵み深く,正しく いまし,

     罪人に道を 示し みちびく。

     主よ,み名のため 罪深い われを

     憐れみにより ゆるしてくださ。

   4 主を畏れる者 恵みを受けて

     選ぶべき道を 主に示される。

     その子も孫も 恵みを受け継ぎ,

     主の契約の 奥義をよろこぶ。

   5 罠に足とられ もがく わが身を

     解き放つ神に わが目を注ぐ。

     孤独に悩む こころをいやして,

     罪をとりさり 助けてください。

   6 なお敵は増して 不正が囲む。

     イスラエルは待つ,神のあがない。

     かたい望みと まっすぐなこころで

     従う者を お守りください。